角野栄子さんは作家としても有名で、とても80代には見えないほど、若々しいです!
そのおしゃれなライフスタイルが注目されていますし。また83歳の今年、児童文学のノーベル賞といわれる「国際アンデルセン賞」を受賞しました。
そんな角野さんが、「徹子の部屋」に出演されますね。
角野さんのだんな様、娘さんなどの家族のこと、ステキなファッションやライフスタイルについてもつづります。
角野栄子のプロフィール
角野栄子(カドノエイコ)
生年月日:1935年1月1日 (83歳)
出身地:東京都
最終学歴:早稲田大学教育学部英語英文学科
出典:http://www.shinchosha.co.jp
角野さんは、東京の下町生まれなんですよね。
下町の出身で現在80歳代ですから、見た目に似ず、チャキチャキの性格で生粋の江戸っ子なのでしょうか。しかも80代で、最終学歴は早稲田大学の英文学科卒業ですから、当時にしては高学歴の女性で珍しかったはずです。
大学を卒業後、出版社に勤務し、24歳からブラジルに2年滞在します。そのブラジル滞在が、角野さんの処女作に繋がってくるのです。
作家としてのデビューは、その滞在体験をもとにサンパウロのサンバの踊りの好きな少年の暮らしを描いた「ルイジンニョ少年、ブラジルをたずねて」(ノンフィクション)です。
その後、7年ほど経ってから角野さんの代表作でもある童話を書きはじめ、出版するようになったのですね。
魔女の宅急便など絵本・児童文学作品
出典:https://www.kadokawa.co.jp
- 『ズボン船長さんの話』
- 『小さなおばけ』シリーズ
- 『魔女の宅急便』
- 『ぼくびょうきじゃないよ』
- 『おだんごスープ』
- 『ラストラン』
- 『トンネルの森 1945』
『魔女の宅急便』は、 1989年に宮崎駿監督によって、アニメ映画化されたジブリ作品で有名です。ご存知の方も多いですよね。
13歳で独り立ちする魔女のキキが、相棒の黒猫ジジとともに苦難などを乗り越えて、1人前になっていく様を描いています。
子供も楽しめるのですが、大人が見てもキキの奮闘する姿に勇気をもらえる、とてもステキな作品です。
国際アンデルセン賞など多数受賞
- 産経児童出版文化賞大賞
- 路傍の石文学賞
- 旺文社児童文学賞
- 野間児童文芸賞
- 小学館文学賞
- IBBYオナーリスト文学賞
- 国際アンデルセン賞
など、角野さんは多数受賞。
その中の国際アンデルセン賞は、「小さなノーベル賞」とも言われています。
1956年から続く国際的な児童文学賞で、日本人では、まどみちおさん、上橋菜穂子さんに続いて三人目が角野さん!
とても快挙なことなんです!
受賞の際、角野さんは、下記のようにおっしゃっています。(『魔女の宅急便』と『トンネルの森 1945』の評価の高い2作品についてです。)
書くことが大好きで、大好きなことをして世界の方々に読まれ、認めていただけたのは大きな喜び です。
主人公を12、13歳に設定し、子どもと大人の間の年齢で揺れ動く少女が、たった一つ持つ魔法で空を飛んでいくのが『魔女の宅急便』。(書きながら)自分も飛べるんじゃないかと思った。
戦争についてはずっと書かなくてはと思っていたが、後追いの平和論や偏った主義主張ではなく、10歳で経験した少女の私の目を通し、そのまなざしから離れることなく書いてみようと。
やっと書けたのが『トンネルの森 1945』でした。物語は最後終戦で終わっている。少女がどうやって戦後を暮らしたか、続きの物語を書いてみたら(その)落差が際立って面白くなるんじゃないかと思っています。
出典:https://kadobun.jp
その他にも紫綬褒章や、2014年には旭日小綬章も受賞しています。
今までの著作は400点近くもあり、83歳になった現在も、精力的に執筆活動を続けています。書くことが大好きと話していましたが、何歳になっても大好きなことを継続することが若さにもつながるのかなと。
アラフォーの自分よりも、そのバイタリティーあふれる姿に憧れを抱きます。そんな80代を目指していきたいです!
この方も、「世界的に有名なあの賞」を受賞しています!
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角野栄子の家族は夫と娘だけ?
角野さんはご結婚されていて、ご主人と娘さんがいるとのこと。
娘さんには兄弟はいるのか調べましたが、角野さんの話の中で娘さんの話のみ見つけられました。よって結論からいうと、娘さんに兄弟はおらす、角野さん、夫、娘の3人家族のはずですね。
また、娘さんのお名前は「リオ」さん。
カタカナで「リオ」さんなので、もしかして、ブラジルの「リオデジャネイロ」から命名したのかもと思いました。
年齢は、現在52~53歳で、角野さんとの年の差が31歳だそうです。(角野さん34歳ときに、リオさんが3歳だったとの情報がありました。)
実は、リオさんの絵がきっかけで、『魔女の宅急便』が生まれたそうなんです。
娘の絵が傑作誕生のきっかけ
『魔女の宅急便』が出版されたのは、角野さん50歳のとき。
その7年前に娘のリオさん(12歳)が描いた絵が、『魔女の宅急便』の誕生のルーツとなります。
「もともと絵やイラストを描くのが好きな子でした。12歳のころ、ふと机の上を見たら魔女の絵がポンと置いてありました。
ほうきやリボンにラジカセも付いていて、そんな12歳くらいの魔女が空を飛ぶ話はおもしろいなと思って。最初に決めたのは、魔女は空を飛ぶ一つだけということ。
小さいときに読んでいたアラジンの魔法は、ちょっと便利すぎたかなと思ったのね(笑)」
引用:https://jisin.jp
娘の絵からインスピレーションを得るなんて、角野さんの「感動のアンテナ」の張り方がとてもステキですよね。
角野栄子の夫
夫との結婚は、出版社に就職して1年後でした。
上記の角野さんのプロフィールで、作家デビューの際の本は、ブラジルの実体験を書いたもの。このブラジルへの渡航ですが、24歳のときに当時日本政府が奨励していたブラジル移住を、ご夫婦でしていたのですね。
また、ご主人はデザイナーとのこと。
旦那さまの職業もまた、そのころの日本としては少数派だったかもしれず現在のおしゃれな角野さんは、そんな旦那さまの影響も大いにあるのかなと。
当時、日本政府が奨励していたとはいえ、異国であるブラジルに渡ることを決断できるというのは、夫婦ともに挑戦してみたい好奇心をお持ちだったのでは。とても感覚が似ていた、お二人だったのかもしれません。
しかも外国への移住決断していて、ものすごくチャレンジャーですよね!
実際にブラジルに渡るときや、渡ってからの心境を下記のように語っています。ある意味、「開き直り」とも取れる心境が角野さんご夫婦の精神的な強さを感じさせますね。
「外国を見てみたいというのは、当時の若い人は誰もが思うことじゃないかしら。小田実さんの『何でも見てやろう』の時代ですね。
英語がなんとか通じればと思ったんだけど、あっちはポルトガル語。そんなことも知らずに貨客船に乗り込んで、2カ月間かけて。
ほんと、自分でも無謀だと思います」
「1ドル360円の時代で、所持金も1カ月暮らせる分くらいしか持っていけない規則で。
サントスの港で途方に暮れていると、バナナを積んだトラックが通りすぎて、山積みの黄色い実を見てたら、まあ、あれを食べてりゃなんとかなるか、って思えたの!」
引用:https://jisin.jp
夫や家族って、有名人だと何かと気になります。
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個性的なファッションやライフスタイル
『『魔女の宅急便』が生まれた魔法のくらし 角野栄子の毎日 いろいろ』という、角野さん初のライフスタイル本が出版されています。
様々な柄の同型のワンピース、カラフルなメガネのフレーム、存在感のあるネックレスや指輪などをお持ちです。そのどれもがとてもセンスのいいコレクションで、鎌倉のご自宅にて、こだわりの生活をしています。
そんなライフスタイル本が出版されるほど角野さんの個性的でステキな生活は、どのように確立していったのでしょうか。
「本人にはそういう気はないのよね。どうしてそういう生き方になったんだか知らないけど、自分が好きな物、気持ちいい物を集めていって……という感じなの。
ワンピースも自分に合う物にはなかなか出会えなくて。襟ぐりが開きすぎていたり、二の腕に合わせると、別の部分がゆるかったり。
だから、ずっと同じデザインで、娘のお友達に縫ってもらっています。いいと思ったらずっと変えない。
最近は選べば生地も安いし、身の丈に合わないものは買わない。1メートル1000円ぐらいの生地で、気に入ったものがあったら買っておくんです。」
「私の持っている物でいちばん高いのは眼鏡ね。
だけどあとはね、本当にお金のかかっていない物ばかり。私のアクセサリーは、プラスチックや木ですから。毛糸で自分で作った物もあるわね。
こういうのはヨーロッパに行くと、たいてい駅の売店なんかに売ってるんです。それを、ひとつ2ユーロとかで買う。
それが楽しい。旅のささやかな発見です」
引用:http://www.jprime.jp
高いものだからいいものではなく、自分の感覚を大事にして、ものを選んでいるんですね。
また、思い入れのあるものは大事に使っているそうで、メガネのフレームはレンズを変えて長年愛用しています。
角野さんの小さいころは、ものがない時代だったので何でも自分で作っていました。
「欲しくても思うように手に入らなかった時代だけれども、可愛いのはきたいな、と思って自分で作る。」
また、「いいなと思う洋服があっても、手持ちの眼鏡に似合うものでなかったら買わないの。」というくらい、信念があって角野さんのブレない心意気も尊敬します。
角野さんのテーマカラー「いちご色」
角野さんは、自分の色を「いちご色」と40代のときに決めたそうで、ご自宅の壁も「いちご色」。
その理由は、「自分のカラーがあると生活が複雑にならずに楽」とのこと。そんな「いちご色」について、こんなふうに語っています。
「赤は好きだったけど、赤にもいろいろあるでしょう。
少しくすんだ赤がいいなと思って、いちご色。色を統一するってことは、自分は毎日暮らしているからそんなに感じないけれど、来た方の印象には残りますよね。
同時に、便利なの。1度いちご色って決めたら、それに合わない色は買わない。
ここにね、冴えざえとした緑の戸棚を置くとか考えないですよ。だから、決めるのが簡単。迷わないから。
中心をひとつ決めて、まわりを変えていけばいいわけ。1度、色を決めてしまえば、生活が複雑にならない」
引用:http://www.jprime.jp
今回の著書(下記)の表紙に写るのは、イチゴ色の壁ですからご自宅なんでしょうね。
「角野栄子の毎日いろいろ 『魔女の宅急便』が生まれた魔法のくらし」の購入は、下記よりご覧下さい。
ライフスタイル本の購入
まとめ
1 角野栄子のプロフィール
2 角野栄子の家族は夫と娘だけ?
3 個性的なファッションやライフスタイル
を見てきました。好きな仕事、好きなものに囲まれた生活。
他のものにまどわされず、取捨選択できる自分の個性を大事にしたスタイル。
才能も存分に発揮し、見た目も気持ちも若く熱意あふれる83歳。
自分のカラーを決めたのが40代とのことなので、アラフォーの自分も独自のライフスタイル目指してみます!
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